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社長ブログケヤキの木の下で

2020年10月28日

徒や疎かに…


おはようございます、
紙太材木店の田原です。
昨日は快晴の中、江南市の家が上棟しました。
(住宅の骨組みができること)
私は見てるだけなのですがそれなりに疲れます。
(釘のうち抜けやボルトの忘れは無いかetc)
一般的に30坪くらいの大きさの家では
7人大工さんが集まれば1日で上棟しますが、

紙太材木店の家はいろいろすることがあって今日も昨日の続きです。
いろいろすることと言っても特別なことではありません。
断熱性をきちんとしたものにし
耐震性を確保し
その上でデザイン的な要素も考慮すると
工事の各段階でしなければならないことがそれなりに出てきます。
それを設計者や住まい手の単なるこだわりと見る向きもありますが、
それは人それぞれの価値観によります。
ただ、この価値観
特に住宅の価値観というのは資産と言う面を除くと、
一昔前までは節の無い桧の柱や太い柱や梁であったり
床の間の銘木、あるいは秋田杉の天井板、ケヤキの大黒柱etc
を評価するのが一般的でした。
でも、現在の住まいで上記のことに価値観を置く住まい手がどれだけいるでしょうか?
恐らく、多くの方にとって
住まいの価値は別のところにあるのではないでしょうか。
今現在普通である、当たり前であるということも
時代とともに変化していく中で、
どこに価値を見出すのか?
住宅で、時代の移り変わりに関係なく評価されるところ、
あるいは評価されるべきところは何なのか?
自分達の住む家だから
自分達が住みさえできればいいし
子供たちは自分達で家を建てるだろうから
あとは野となれ山となれ
と言う考えもありますが、
残念ながら子供たちが住む住まないは別にして
必ずその家を相続することになります。
子供たちが相続放棄しても
自分の兄弟、兄弟の子供(甥、姪)・・・と相続権がどこまでも
移っていきます。家はずっと残っていきます。
住宅が個人の資産であると同時に、社会資産と言われるのも頷けます。
残念ながらそのような意識で家を建てる方はごく少数。
でもこれからの時代、そんな意識を持つことも大切な時代になったように思います。
住まいに於いて
時代が変わっても社会が認める、
あるいは社会に認められる価値は何なのかを考えてみると
あだやおろそかに設計することはできません。

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