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社長ブログケヤキの木の下で

2019年8月5日

どこもおんなじ 京都百味会


おはようございます、
紙太材木店の田原です。
今週はお盆前の最後の建前ですが台風ウィークだとか…
今のところ東海地方を逸れてくれそうですが、
お盆期間中の台風養生は避けたいところです。
昨日のNHK総合では京都の老舗の集まりである百味会を放送してました。
京都の老舗、インバウンドで安泰かと思いきや
外から見るほど安泰ではなさそうで、
保守的な京都では老舗は老舗なりにいろいろ試行錯誤しているようです。
世代の交代時期にはどこの商家でも起こっていることが
そのままあるようです。

200年、400年を超す商家もありますから
商いを続けていく事、繋いでいくことが至上命題。
そうなると、同じ商売をしていても時代の変化に合わせて
変えるべきものと、変えてはいけないものがでてきます。
いわゆる、不易流行ですが
ただ、何を変えて何は変えてはいけないか?
そこを間違うと、続けていく事、つなげていくことができませんし、
変えるべきものを変えたら必ず成功するわけではありませんから
難しいところです。
翻って、地方の工務店。
変えるべきところが数多くありますが
変えなくてもそれなりに仕事があるのが問題で、
経営者は危機感を持っていても
のど元過ぎれば何とかで従来の家づくりからの脱却が
なかなか難しいものです。

変えたとしても、失敗すれば即倒産。
ローコストに進出したけれど全く利益なしなんて話は
いたるところにあります。

大手のHMやローコストメーカーの地方進出は
着工戸数が減少すればするほど激しくなるわけで、
地方の工務店とは本来どうあるべきかの本質が分かっていないと
人口減少が確実な地方では生き残っていけません。
紙太材木店も140年を超す歴史がありますが
当初はその名の通り紙を扱っていました。
美濃市の紙を飛騨川を使い名古屋や横浜に卸したのが始まりです。
飛騨川を使っていたことから
同じ川辺町の下麻生に綱場があることもあって、
材木を筏を組んで流すようになり
製材や銘木を扱うようになり
名前も紙太のあとに材木店が付くようになった経緯があります。
その後、自然な流れで家を建てるようになるわけですが
昭和の大恐慌や戦争もあり、
決して平坦な道のりではありませんでした。
戦後の家づくりも随分変わりましたが
ここ10年ほどの住まいの変化の激しさは
業界の中に身を置いてみると相当なものであることが分かります。
ここに人口減、着工減も加わるわけですから
大手のHMの統合と言う名の淘汰や、地方の工務店の淘汰も
既に始まっています。
どんな工務店が生き残るのかは誰も分かりませんが
時代に合わせた変化を遂げられるところだけだが残るということは
どこの工務店でも解っています。

問題は何を変えるか、何を変えないか
誰も教えてくれませんから
脳みそに汗をかいて自分で考えるしかありません。

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